長年、PQCは「将来のサイバーセキュリティ課題」として捉えることができました。現在広く利用されている暗号方式を破る能力を持つ量子コンピュータはまだ存在していなかったため、企業には技術の進展を見守り、標準が成熟するのを待ち、その上で対応を計画する時間がありました。
しかし、その猶予は短くなりつつあります。
デジサートの最新調査によると、ITおよびセキュリティのリーダはその緊急性を強く認識しています。85%が、現在の暗号標準は今後10年以内に破られると考えており、半数以上は5年以内にそうなる可能性があると回答しています。
企業も対応を始めています。現在、87%がPQCに関する計画、テスト、または導入を進めています。
一方で、量子コンピュータへの準備と、実際に対応可能な状態になることの間には大きなギャップがあります。量子コンピュータに対して安全な、またはハイブリッド型の証明書を本格的な規模で導入している組織は、わずか7%です。
このギャップこそ、今回の調査で最も重要な結果かもしれません。企業の多くは、何が起こるかを理解しています。今の課題は、その認識や計画を実行に移すことです。
暗号を実際に破れる量子コンピュータがいつ登場するのか、正確な時期は誰にも分かりません。しかし、リスクを認識するために正確な日付を知る必要はありません。
調査対象となったITおよびセキュリティリーダの大半は、すでに比較的短い時間軸で対応を考えています。85%が現在の暗号標準は10年以内に破られると予想する一方、現在の暗号が10年以上安全であり続けると考えているのはわずか7%です。
同時に、外部の動きも明確になりつつあります。大手テクノロジ企業は移行目標を設定し、各国政府も対応を求め始めています。そして耐量子コンピュータ暗号の標準もすでに公開されています。
特に重要だったのが、米国国立標準技術研究所(NIST)が2024年8月に初のPQC標準を公開したことです。これにより企業は、移行を始めるためのより明確な技術的道筋を得ました。
しかし、量子コンピュータの脅威には、通常とは異なるセキュリティ上の特徴があります。企業は「将来のデータを、今から守る」必要があるのです。
攻撃者は、将来量子コンピュータを利用するために、今すぐ量子コンピュータを持っている必要はありません。
「Harvest Now, Decrypt Later(HNDL)」攻撃では、攻撃者が現在暗号化されている情報を収集し、将来、より強力な量子技術を使って復号できるようになることを期待して保存します。
そのため、問うべきことは単に「量子コンピュータはいつ現在の暗号を破るのか」ではありません。
もう一つ重要なのは、「自社のデータを、どのくらいの期間機密に保つ必要があるのか」という問いです。
回答者の84%が、自社の暗号化データの少なくとも一部はHNDL攻撃の影響を受ける可能性があると考えています。また3分の1以上が、暗号化データの25%超がこのリスクにさらされていると回答しています。
調査では、攻撃者がどの情報に最も価値を見いだすと企業が考えているかも明らかになりました。最も多かったのは金融データの58%、次いで暗号資産の53%、企業の知的財産や営業秘密の40%でした。さらに、政府の機密情報、軍事システム、個人通信、医療記録なども潜在的な標的として挙げられています。
こうした状況は、企業が量子コンピュータ対応をどのように考えるべきかを変えます。
これは単なる暗号技術の問題ではありません。データ保護と、データをどれだけ長く守る必要があるかという問題でもあります。
6カ月後には価値を失う情報と、10年、20年にわたって機密性を保つ必要がある知的財産、金融情報、機密性の高い政府データでは、量子コンピュータによるリスクが大きく異なります。
そのため企業は、脆弱な暗号がどこに存在するかだけでなく、その暗号が何を保護しているのか、そしてその情報をどれくらいの期間保護する必要があるのかも把握する必要があります。
前向きな点は、業界全体が基本的な認識の段階をすでに超えつつあることです。
回答者の87%がPQCの計画、テスト、導入を進めています。50%が量子コンピュータのリスク評価を実施し、45%が移行計画を策定、44%が暗号資産のインベントリを作成しています。
これらはいずれも重要なステップです。
特に暗号資産のインベントリは、移行の基盤になります。企業は何を変更する必要があるのかを判断する前に、自社環境に広がる証明書、鍵、アルゴリズム、暗号技術への依存関係を可視化する必要があります。
しかし、計画はまだ広範な導入にはつながっていません。
現在、証明書の半数以上で量子コンピュータに対して安全な、またはハイブリッド型の暗号方式を利用していると回答した組織はわずか7%です。この数字は前年から2ポイント未満しか増加していません。
したがって、量子コンピュータ対応の課題は変化しています。
もはや主な問いは、「企業は脅威を理解しているか」ではありません。
「企業規模で移行を実行できるか」です。
調査で明らかになった最大の障壁も、この変化を裏付けています。
標準の不確実性を最大の障害として挙げた回答者はわずか8%、何から始めればよいか分からないと回答したのは3%でした。経営層の理解不足も8%と比較的低い割合です。
一方、最大の課題として挙げられたのはレガシーシステム全体の複雑さで、26%でした。次いで、パフォーマンスへの影響と予算上の制約がそれぞれ19%でした。
つまり企業は、進むべき方向を理解しつつあります。しかし、そこへどう到達するかに苦慮しているのです。
そして、この移行は一夜にして実現できるものではありません。多くのリーダは、量子コンピュータに対して安全な暗号を企業全体に導入するには3~5年かかると見ています。
だからこそ、対応を先延ばしにするリスクは高まります。
企業の暗号技術は、アプリケーション、インフラ、デバイス、サービスのさまざまな場所に深く組み込まれています。簡単に特定し、置き換えられる暗号資産もあれば、長年使用してきたレガシーアプリケーションやハードウェアの中に存在するものもあります。
したがって移行は、単一のソフトウェア更新ではありません。発見、優先順位付け、テスト、修正を伴う、複数年にわたる運用プログラムです。
最初の課題は可視性です。
脆弱な暗号を置き換えるには、まずその暗号がどこに存在するのかを把握する必要があります。しかし、暗号資産のインベントリを作成している組織は44%にとどまります。
つまり、多くの企業が、移行すべき対象の全体像を把握しないまま移行計画を策定していることになります。
暗号資産の発見とインベントリ作成により、基本的な問いに答えられるようになります。証明書や鍵はどこに導入されているのか。どのアルゴリズムが使用されているのか。どのアプリケーションやシステムがそれらに依存しているのか。最も機密性が高く、長期間保護する必要があるデータを守っている資産はどれか。
その情報があれば、すべてを一度に置き換えようとするのではなく、リスクに基づいて移行の優先順位を決められます。
この可視性は、最初のPQC移行後も重要になる「暗号アジリティ」の実現にもつながります。
量子コンピュータ対応は、暗号標準が変化する最後の機会ではありません。アルゴリズムの安全性が低下したり、新たな脆弱性が発見されたり、規制要件が変化したりする可能性があります。企業には、暗号資産を発見し、アルゴリズムや認証情報を置き換えるたびに数年規模の緊急対応を必要としない運用能力が求められます。
したがって、量子コンピュータ対応とは、単に新しいアルゴリズムを採用することではありません。暗号技術の変化を継続的に管理できる運用能力を構築することです。
対応状況はすべての業界で同じではありません。
調査では、地域差よりも業界差の方が大きいことが分かりました。メドテックが最も高い対応度を示し、通信・メディア、銀行・金融サービス、科学・テクノロジが続きました。主要業界の中で、「十分に準備できている」よりも「準備できていない」と回答した割合が多かったのは小売業のみでした。製造業では、「十分に準備できている」と「まったく準備できていない」の差が最も大きくなりました。
こうした違いは、量子コンピュータ対応が今後、企業の差別化要因になる可能性を示しています。
暗号資産の可視化と移行能力を早期に確立した企業は、標準、規制、顧客の期待が変化しても、より柔軟に対応できます。対応を遅らせた企業も最終的には同じ移行を迫られますが、実行に使える時間は少なくなります。
量子コンピュータへの移行は、重要な転換点を迎えています。
企業は、量子コンピュータが実用化されるまで何もせず待っているわけではありません。多くの組織がリスクを理解し、評価、インベントリ作成、移行計画を開始しています。
しかし、計画していることと、準備ができていることは同じではありません。
企業全体の移行には3~5年かかると多くの組織が考えている一方で、現在の暗号は5年以内に破られる可能性があると考える組織も過半数に達しています。対応を先延ばしにできる余地は、急速に小さくなっています。
さらにHNDL攻撃を考えれば、時間的な猶予は一層少なくなります。将来にわたって機密性を維持する必要があるデータは、すでに攻撃者にとって収集する価値があるからです。
量子コンピュータ時代に最も適切に備えられる組織は、暗号を破れる量子コンピュータの登場時期を正確に予測できた組織とは限りません。
自社の暗号技術がどこにあるのかを把握し、どのデータが最も大きなリスクにさらされているのかを理解し、何を優先して移行すべきか判断でき、その変更を大規模に実行するための暗号アジリティを備えた組織です。
量子コンピュータへの競争は、単に新しいアルゴリズムを採用することではありません。
何をすべきかを理解している状態と、それを実際に実行できている状態のギャップを埋めることです。
そして、その競争はすでに始まっています。